月下の孤獣 5
      



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未明からのこっち、行方が分からなくなった鏡花を探して探して、
そりゃあもう出来得る限りの手を尽くし尽くして奔走した敦だったが。
蓋を開ければ…というか 真相に辿り着いてみれば、
何とも陳腐なことを執念深く抱えていた勘違い野郎が黒幕で。
どれほどの才を持つ大物か、
実は爪を隠していた能ある鷹がいたものかと思ってのこと、気を引き締めてあたっていたらば、
そもそもの始まりを仕掛けた鴎外の悪戯心と 幼女にまんまと攫われて見せた太宰との水面下での駆け引きやら、
様々な偶然が重なってうまく運んでいただけのラッキー野郎に過ぎなかっただけのこと。
其奴にしてみれば
鴎外がそうと指定したのだから間違いはなかろう“芥川”を当該対象として組合の連中に引き渡し、
70億という法外な懸賞金を手に入れる算段だったらしく。
そんな企みを妨害されてもご自慢の知恵は冴え渡り、
だったら同じく獣まつわりな異能のこちらの青年を身代わりにすりゃあいいだけのことじゃないかと、
そんな浅知恵を余裕の笑みでひけらかし、
ついでに日頃から気に障る存在だった敦本人へ、腹いせのように暴虐に走ってみたらしかったが。

  はっきり言って “格”が違った

敦のことを 何やら卑怯狡猾な手を使って要領よく上層部に取り入っている
調子のいい青二才にすぎぬと思っていたらしかったが、
日頃、腰が低くて人懐っこい天然少年のように振る舞っていたのは、
愛玩動物や幇間の真似事をしていてのことじゃあない。
確かに “どこかで意識して”振る舞っていた代物だったが、
そうしていなけりゃ安穏とは生きていられぬ組織だと、
決して油断はしないようにと、師匠から叩き込まれていたのを厳守していたまでのこと。
むしろ “慣れ合ってはいけないよ”という教えの通りに振る舞っていたがため、
世話好きな中也や紅葉からしてみれば ずんと水臭い子だったほど。

 とはいえ

姐様から任された少女一人守れずに、
心細かったろう仕儀へ連れ出され、そのまま引っ張り回させたという結果は重く。
そんな事態へ至ってしまった元凶の大馬鹿野郎に
ついつい箍を外して当たり返したら、
口ほどの実力は伴われてはなかったか、あっさりと致死レベルの怪我を負わせてしまい。
我に返ったそのまま、見回した現状へ大きに脱力し、
ああもうどうでもいいやと、吹っ切れたと同時、
もしかしてその船は自爆装置が装備されてる奴だよと、
梶井から聞き出したついでにガメといた “後始末用”のスイッチを思い出したところで…。

 「…この愚者が。」

それは唐突にそんな声が降って来て、
起爆用のスイッチが
何かに弾かれたそのまま、敦の手から生き物のように弾んで零れ落ち、
からからと硬い音を立てて甲板の上を転がってゆく。

 「…え?」

敦の手を弾いたのは、音もなく飛びかかってきた影であり、
わあと棒読みで驚いておれば、その肩へと手が掛かってぐるりと振り向かされている。
そういや其処って鎖骨が折れるほどの怪我してたんだけどな、
ああでも痛くないから虎が治してくれたみたいだなぁと、やはり感慨薄く思っておれば、
ぼんやりしている敦へ焦れたのか、やや乱暴な声が再びかけられる。

 「何をぐずぐずしている。皆して貴様を待っておったのだぞ?」

  え? なんのはなし?
  あ、この人知ってる。さっき迎えが来てるからって見送った芥川くんだ。

見覚えのある砂色の長外套を やや強い潮風に翻弄されつつも、
先程よりはずんと意志のこもった強い表情を見せている彼であり。
そんなこんな比較できるほどには思い出した敦が、ほわりとうっすら笑って見せる。

 「凄いなぁ、船端を異能で一気登攀したの?
  随分と使いこなせるようになってたんだね。
  それに怪我も治ってる。まさか船上で解体されt…。」

 「やかましい。////////」

微妙にどこかが真相を衝いていたものか、
目つきが鋭くなると人相がぐんと悪くなる不貞腐れ顔はそのまま、
だがだが ちょっぴり赤くなったところが意外と素朴実直な彼だったりし。
敦が察したように、
一旦脱出したはずなのに、再び貨物船の間近までボートでにじり寄ってから、
羅生門をザイル代わりにし、甲板へと乗り込んできた彼だったようで。
何故、沈める処理をするなどと物騒なことを言っていた船から
だのに逃げずにぐずぐずしているのかと、怪訝そうに訊くのもまま判らぬではなく。
そんな芥川にぼそりと力なく告げたのが、

 「逃げるなんて出来ないよ。」

 だってボク、仲間を殺してしまったもの。
 親方の指示でない限り仲間を殺すのは一番のご法度なんだよ?

傍らに横たわる人物を視線で差しつつ、
他人事のように説明し、虎の子は感情薄く笑う。
恩讐の集団であるマフィアには様々な不文律があるらしく、
仲間を裏切って私的な感情や欲から手を掛けるなど以ての外。
普通一般の人にも当てはまりそうな禁忌だが
しかもしかも、マフィアという物騒な集団では喧嘩の果てなどでそういう事態に陥りやすかろうに、
一般人が犯した場合の情状酌量の余地もない、
どんな事情があろうとも そのまま問答無用で処されるほどの罪だと言いたいようで。
だが、そんな彼の声が消えぬうち、かぶさるように続いたのが、

 「死にゃあしないよ、アタシがいる。」
 「…っ。」

思いもよらない声が飛び込んできて、それへはギョッとしたか
瞬きを何度かしつつ頭首を巡らせれば、
芥川の後に続いて…どうやってか勇ましくも乗船して来たらしい、
地下鉄の騒ぎで共闘した格好の、武装探偵社の女医がにんまり笑って立っている。
しかも、その傍らには、

「そいつが黒幕なんだね。
 キミへも何か仕向けて来たんだろうに、
 それでも力量の差が出てこういう結果になったってところかな?」

まるで見ていたかのようにすらすらと紐解いたお声に、今度こそハッとして表情を冴えさせた白虎の青年。
というのも、与謝野女史の傍らにいたのが、
芥川と同様に砂色のコートを潮風にはためかせている長身の君。
敦青年にとっては旧知の人物でもある太宰治、その人であり。
男性にその描写はどうかではあるが、水蜜桃のようにしっとり甘い
端正なだけじゃあなくどこか柔らかで蠱惑的な顔容を優しい笑みに綻ばせ、
自慢の教え子へ“よく出来ました”とか“頑張ったね”と言いたげなお顔をしている彼なのへ、

 「あ…。」

何もかも放り投げかかっていた虚洞のような顔こそ改めた敦だったものの、
今現在の彼が身を置く探偵社の面々が同坐している場で迂闊な話は出来ぬと思ったか、
今度はどこか戸惑うような顔になる。
どう取り繕えばいいのか頭が回らないらしく、
身の置き所がないような、いたたまれぬという困惑を見て、
つい先程までの余裕はどうしたのだと思ったものか、芥川が吐息混じりに言い足したのが、

 「太宰さんが元マフィアだというのは聞いた。」
 「…え?」

仰天してか、まだ少々脱力が残ってのことか、
先程までのふわふわしたそれではなく
何にか合点がいかずに呆然としておりますという声を返す敦なのへ。
余裕綽綽の穏やかそうな顔しか知らなかった芥川もやや意外だと感じたか、
しかめっ面こそ少しほど緩めたものの、今度はやや面映ゆげな顔になり、

 「今さっきのことだし、探偵社の全員が知ってるわけじゃあないがな。」

そうと付け足せば、
さっそくにも βの “治療”に掛からんとしておいでの与謝野が、
聞こえていたか、そうそうと同意の声を楽しそうに発し、

 『スマホへ何十個もいろんなところの防犯カメラの映像を呼び出したりして、
  物凄い手腕だったよ、あの子。』

地下鉄爆破騒動の喧騒から隙をついて逃げ出した敦があちこちへ電算機端末で情報をつつきまわした結果、
どういう手回しがあったやら、鏡花が輸送船へ運ばれる車両と同行していること、
その貨物船が公開水域での取引をするらしいというながれを突き止め。
早く追い付かないと間に合わぬと、自分は本拠のヘリポートへ向かうと言って離れたので、
彼女は彼女で 社へ戻るなり “船を出して”と言い立てた。
何がどうとは言えないとしつつも、それは鬼気迫る 急かしようだったのに国木田でさえ怯んだところへ、
そちらも行方不明だった太宰が、
何を嗅ぎ取ったか 戻ったばかりの身で同乗したいといやにごり押ししてきたそうで。

 「いつもの飄々とした風はどこへやら、
  常になく食い下がって来るのが意外だなって思ってたんだが。」

  乱歩さんから
   “連れってってやって。
   谷崎は高速艇の操船担当、国木田には連絡中継担当をさせるからね”なんて
  電子書簡での差配をされて。

そりゃあ大急ぎ、交通規範もやや振り切って桟橋までを辿り着き、連絡しといた高速艇に乗り込んで、

 「当初の目的だった芥川を拾ってもまだ離れがたそうにしていたから、
  もしかしてと訊いたらあっさり吐いたのさ。」

それは淀みなくすらすらと説明しながらも
やや見開いた双眸からの視線は、獲物、もとえ患者から外すことはなく。
長いスカートの裾、躊躇なく煤けた甲板の上へ伏せるほど屈みこんだ女医殿。
肘まである黒い手套を手早く外し、現れた繊細そうな白い手を βの首元の患部に当てると

  __ 君死給勿

異能の名称を一喝した途端、
周囲を青々とした清涼な光が照らして、
瀕死状態だった悪党は、胸板が上下するほどの呼吸が戻り、
咳き込めるほどの回復をあっという間に示したのだった。






to be continued.(20.07.28.〜)


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 *ちょっとどこで区切ればいいのか判らなくなったのでここで分けます。
  太宰さんまで別人28号になりそうな嫌な予感がしますが、
  どうかご容赦を…。